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大航海時代のリスボンに残された「黄金の国ジパング」の足跡を巡る


リスボン ヨーロッパ最果ての国、ポルトガル。ヨーロッパ全体から見ると、お隣のスペインやその奥のフランスなどに押されて、日本人には少々地味な国にうつりがちです。ところが、日本の4分の1しかない国土に、日本よりも1つ少ないだけの13の世界遺産がぐっと集中する、世界遺産の宝庫なのです。さらに、戦国時代、安土桃山時代にタイムスリップしてみると、当時日本とポルトガル間に存在していた深い関係が、その後の文化や歴史に大きく影響している事がわかります。鉄砲伝来、キリスト教布教、フランシスコ・ザビエル、南蛮貿易、カステラや金平糖などのお菓子…キーワードをざっと並べるだけでも、その影響力は想像できますね。

 今回ご紹介するリスボンの街は、リスボン観光ではお馴染みの「ジェロニモス修道院」と「ベレンの塔」が世界遺産に登録されています。どちらもポルトガルがヨーロッパ随一の海洋帝国として、巨万の富を欲しいままにしていた黄金時代に深く関わっており、その時代は、前述した戦国、安土桃山時代に重なります。つまり、リスボン観光のポイントは日本史を振り返る事と言っても過言ではないのかも知れません。その意味では、世界遺産ではありませんが、発見のモニュメントや日本に関連する展示品が並ぶ博物館、美術館も見逃せません。
 
 では、日本史を頭の片隅に置きつつ、リスボンの街を巡ってみましょう。

大航海時代の富の象徴、ジェロニモス修道院

1502年、時の王マヌエル1世によって着工された大建造物。マヌエル1世は、ポルトガルが海洋帝国として黄金時代を迎えた時代に生きた王ですが、もともと世界進出のパイオニアとなったのは、彼の祖父である「エンリケ航海王子」でした。
航海王子の名前に反して、彼は自らは航海はしなかったものの、大航海時代の初期における重要人物の1人で、大西洋への進出に並々ならぬ情熱を傾け、パトロンとして航海者たちを援助・指導を行うことで、大航海時代の幕を開いた人物です。

そんなエンリケ王子の夢は、死後38年の1498年、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見として実現し、それによって得た香辛料貿易などでポルトガルは巨万の富を得ます。マヌエル1世は、そんな黄金時代を導いたエンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業をたたえ、この修道院を建てたのです。
ジェロニモス修道院

 その名の通りマヌエル1世時代に盛んだった「マヌエル様式」というポルトガル独特の建築様式で建てられており、海草や船のロープなど海にまつわる物や珍しい熱帯の動植物などの装飾が駆使された、この時代の背景や好みを反映した造りになっています。幻想的かつ情熱的な装飾、細かな細工には、当時の繁栄と人々の士気が感じられます。大礼拝堂には、ヴァスコ・ダ・ガマの石棺が安置されています。


1584年、長崎を出発してから約2年半がたったこの年に、「天正遣欧使節団」はリスボンに到着します。その4人の少年がこのジェロニモス修道院を訪れたという記録も残っています。

ジェロニモス修道院  ジェロニモス修道院 

ジェロニモス修道院  ジェロニモス修道院 


テージョ川の公女、ベレンの塔

出入りの船を監視する要塞として、マヌエル1世の命で建てられた大理石の塔。 司馬遼太郎がこの塔を「テージョの公女」と称したことでも知られています。。

ドレスの裾を広げて立つ貴婦人に例えてこう呼んだようです。
実際は1階は満潮時に水に浸される牢獄、2階には大砲があり、やはり要塞として機能していましたが、世界に羽ばたく大航海時代の航海者たちを見送り、そして命からがら生還を果たした男たちを温かく迎えた女神像としても存在していたのかも知れません。そう考えると、司馬遼太郎の命名もなるほど納得出来ますね。
ベレンの塔

モチーフは帆船、発見のモニュメント

発見のモニュメント リスボンのガイドブックには必ずと言っていいほど写真が掲載されるこのモニュメント。建てられたのは1960年と新しく、エンリケ航海王子の500回忌の記念碑です。エレベーター付の展望台になっており、360度のパノラマを楽しむことができます。

ずらっと並んだ偉人の彫刻の先頭に立つのが、英雄エンリケ航海王子、その後は大航海時代に活躍した天文学者や地理学者、航海士、宣教師などが続いています。後ろから2番目は、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルがいます。

このモニュメントのすぐそばにある広場の地面に、世界地図が描かれており、大航海時代の航海者が新しい国を発見した年号が書かれています。日本の横には1541年の年号。公式訪問は鉄砲が伝わった1543年ですが、その後この鉄砲が織田信長の天下統一を導くことになったと考えると、遠い遠いポルトガルの国も不思議と急に身近に感じるものです。

ジパングを偲ぶ、美術館、博物館

リスボンにはいくつも博物館、美術館がありますが、中でも日本人の興味をそそるのが「国立古美術館」「海洋博物館」「軍事博物館」でしょう。

 「国立古美術館」には『南蛮』の間があり、南蛮貿易の様子を描いた狩野派の屏風が展示されています。
長崎の町を歩くポルトガル人を描いたこの屏風は狩野派の最高傑作と言われるほど素晴らしく、一見の価値有りです。

ちなみに、屏風はポルトガル語で「ビオンボ」と言い、日本からポルトガルに入った外来語の一つです。同様に坊主は「ボンソ」と言います。

逆にポルトガルから日本に入った外来語は「ボタン」「ビロード」「カッパ(合羽)」「ジバン(襦袢)」「パン」「金平糖」…と現在も日常的に使う言葉が多く、改めて日葡交流の奥深さを感じますね。
ジパング
 「海洋博物館」には、日本への渡来を可能にした長距離航海用の巨大帆船「カラベラ船」のレプリカや、当時の古い海図、航海器具などが展示されています。大航海時代の勢力範囲が記された地図には「ジパング」も描かれています。
 「軍事博物館」には、織田信長を天下統一に導いた鉄砲、つまり火縄銃と同型のものが展示されており、ついつい誰もが学校で繰り返し覚えた「1543年、種子島に鉄砲伝来」という歴史の勉強を思い出してしまいます。

 このように、リスボン観光には驚くほどたくさん「ジパング」が登場します。もっと驚くことには、織田信長が造った「安土城下町」はリスボンの町から学んだということ。そうすると、大河テージョ川は琵琶湖ともとらえられるでしょう。信長の経済政策であった「楽市・楽座」も、リスボンの商人たちからヒントを得たようです。こんなに強いつながりがあるとわかると、実際リスボンに行って確かめてみたくなります。もしかしたら、デジャヴのような感覚を覚えるかも知れませんね。



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