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スペインが生んだ不世出の天才建築家ガウディ


ガウディ サグラダ・ファミリア バルセロナといえば、まず頭に思い浮かぶのはあのサグラダ・ファミリア(聖家族教会)の他に類を見ないような個性的なシルエットという方は多いのではないでしょうか?
その他にもグエル公園やカサ・ミラなど、バルセロナの街は彼の名前を抜きにして語ることはできません。

彼のあまりに個性的な作品群、その芸術性の高さ、作品がバルセロナという街に与える影響の大きさなど、現在での彼の名声は誰もが認めるところです。


このようなあまりに独創的な作品を生み出した背景には、実は幼い頃から貧しく苦労人で、大変な努力家であった彼の姿がありました。一方で、サグラダ・ファミリアの設計前はカトリックへの信仰心はおろか、宗教批判さえしていた事さえありました。。そんな彼がサグラダファミリアというカテドラルを創りあげるに至るには、苦悩と覚悟に満ちた激動の人生が隠されていました。

今回は、そんな不世出の天才建築家ガウディの73年の人生を振り返ってみましょう。

アルバイトから建築を学んだ苦学生

ガウディ グエル公園 ガウディは、852年6月25日、バルセロナを中心とするカタルーニャ地方南部の町で、銅板器具職人の家に生まれます。

21歳でバルセロナ建築学校(現在の大学に相当)に進学します。結局授業にはあまり出席できずに3度留年を繰り返してしまいます。何と不真面目な!と思われそうですが、もともと貧しい家庭に生まれた事もあって、学費と生活費を稼ぐために建築現場でアルバイトをせざるを得なかったために、学業に専念できる環境ではなかったようです。
しかし、これほど短期間で建築家としての一人前の美学と自信を身につける事が出来たのは、彼自身の努力ももちろんですが、アルバイト先での実践的な経験もあったとも言えるかも知れません。父の影響を受けてか根は職人気質で、アルバイト先では素直に職人の教えを乞い、さらに学校でも、たびたび図書館へ出かけては、教授たちが読むような中世建築の研究書を読んでいたのです。

しかしこの時期、大きな悲しみも経験します。
卒業の2年前、兄、母が立て続けに亡くなってしまいます。自身も幼いころ患ったリウマチの再発に不安を抱きながら、残された家族のために頑張るしかない、一家の生活を支える重荷を背負うのです。

しかし、卒業時にはきちんと建築家のタイトルを授与されています。しかも、このタイトルは同年の卒業者20名中、ガウディを含めて4人しか授与されなかったそうです。

卒業の際、当時の校長がこんなことを言ったというエピソードが残されています。

  「今日卒業した者の中に稀にみる才能を持つ者がいる。
   しかし、それが天才なのか気違いなのか、いずれ時が解決するでしょう」


ガウディの「その先」を知る私たちには面白い言葉ですね。

ガウディのアルバイトは主に建築家の助手だったのですが、経済的に安定するには、設計を依頼してくれる上流階級の顧客が絶対必要でした。そんな時出会ったのが、19世紀当時、非常に栄えていた繊維業で財をなした実業家エウセビオ・グエルだったのです。

ガウディ グエル公園  ガウディ グエル公園 


グエルとの出会いから一流建築家へ

ガウディ 後の最高のスポンサーとなるグエルと出会うきっかけは、1878年のパリ万博でした。
アルバイト先の紹介で手袋用のショーケースを作ったのですが、これがグエルの目に留まります。後のガウディの作品から考えると想像も出来ないようなこの小さな作品が、彼が一流建築家として世間に認められるための第一歩となったのです。

グエルはいくつかの家具のデザインをガウディに依頼した後、グエル別邸、グエル邸、グエル公園と次々に注文を出します。だからガウディの作品には「グエル」という名前がたくさん出てくるのですね。実業家のグエルですが、芸術愛好家でもあり、ガウディとは芸術論を語り合う良き友人であったようです。

そんな折、飛び込んだのが「サグラダ・ファミリア」建築の依頼です。


これは当初、引き継ぎの仕事でした。というのも、初代建築家ビリャールが聖堂建築のスポンサーであるサンホセ協会と意見の食い違いで辞任したからです。経済的安定と名誉を得られるという事で、二つ返事で引き受けたガウディ。

しかし冒頭でも触れたように、それまでガウディはカトリックへの信仰心はなく、宗教批判さえしていたのです。でもカトリックの聖堂を作らなければいけない現実。
ガウディは思い悩み、これを機に人生観を大きく揺さぶられていきました。


建築愛のみ 無欲の晩年

約10年間悩み苦しんだ末、42歳の時、ガウディはカトリック信仰に目覚め断食に入ります。
日に衰えていくガウディを救ったのは、親友の神父の「聖堂建築は神からの使命だ」という言葉。それ以来、彼は敬虔なカトリック信者として質素で慎ましやかな生活を送り、朝夕のミサにも欠かさず参加するようになりました。

 還暦を過ぎた頃から、サグラダ・ファミリア以外の仕事を全て断ります。聖堂建築そのものは何度も資金難に悩まされますが、「神の建築家」ごとく生涯をサグラダ・ファミリアに捧げます。
74歳の誕生日を迎える直前、仕事終わりにミサへ向かう、普通の日でした。路面電車に跳ねられ突然の死を迎えます。みすぼらしい格好だったガウディは浮浪者扱いされ、病院でしばらく放置された後、あの高名な建築家だと判明されたのは事故から6時間後だったと言います。
現在ガウディはその半生をかけたサグラダ・ファミリアの地下墓室に眠っています。

ガウディ


ちなみにガウディは生涯独身で通していますが、3度恋をしています。
 
全て失恋で終わっていますが、禁欲的で恋愛下手なガウディだけに、手も握れないようなはかない恋だったようです。彼が残した、圧倒的な躍動感あふれる建築作品からは少し想像しにくいですよね。もしかすると、ガウディの情熱や愛情は「自らの天命」に従って全て建築に注がれたのかも知れません。
そんなガウディの生涯を頭の片隅に置いて作品を眺めると、目に飛び込む衝撃だけでなく、心に届く感動も一層膨らみそうです。



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