歴史
西暦560年以降、西ゴート王国時代には首都として機能していたトレドですが、その後徐々に衰退をはじめ、711年にはあっさりと北アフリカから侵入してきたイスラム教徒に街を明け渡してしまいます。
その頃のトレドの住民の大部分はモサラベと呼ばれるイスラム教支配の地に残ったキリスト教徒たちで、トレドでは住民による反乱が首都コルドバで繁栄を謳歌したアブド・アッラフマーンⅢ世が君主の座につくまで、何度となく繰り返されました。
イスラムの支配が定着し反乱もなくなったころ、現在も残るトレドの旧市街の特徴でもある曲がりくねった細い道、城壁、美しいパティオを持つ家などの街づくりが行われました。
またこの頃、トレドに住んでいた有能な歴史学者、数学者、医者、天文学者などにより、学問が非常に栄えたことが知られています。
1085年、トレドはアルフォンソⅥ世によって制圧され、再びキリスト教徒の支配下に入ります。
しかし、その後もイスラム教徒、ユダヤ教徒も共存を許され、彼らの習慣をそのままに許容される寛容な政策をとられていました。
また「賢王」と呼ばれたアルフォンソⅩ世が、13世紀に翻訳研究所を設置し、アラブ語・ユダヤ語・ギリシア語などの文献をラテン語に翻訳させました。
このようにトレドでの3つの文化の共存と協調によって、イスラム教徒の知恵やユダヤ人の哲学、さらに古代ギリシア・ローマの哲学・神学・科学の文献などがトレドを通じて他の欧州諸国に紹介され、トレドはヨーロッパにおける学問の中心地として重要な役割を果たしました。
そしてこれらの成果は、中世西ヨーロッパのルネサンスに大きな影響を与えていくことになります。
しかしこの3つの文化の穏やかな共存は14世紀まで終焉を迎え、 1492年には西ゴート王国時代から住み着いていたユダヤ人が、ほぼ全員トレドから追放されることとなります。