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歴史


サンティアゴ・デ・コンポステーラの街の起源は、神意による聖ヤコブの石棺の発見伝説にさかのぼります。
言い伝えによれば、813年、隠修士パイヨは、昔ケルト人の集落があったあたり、ローマ時代には要塞があったリブレドンの山へ、星の形をした光が走るのを目にしました。
ここから、カンポス・デ・エストレージャス(星の野原)、コンポステーラの名前が生まれたとされています。
この奇妙な出来事はすぐにテオドミノ・デ・イリア・フラビアの耳に入り、信頼できる人々とともにその場を訪れ、三体の遺体を葬った墓地を発見しました。

そのうち一体は首がはねられており、碑文には「ベゼダイとサロメの息子、ヤコブここに眠る」と書かれていたのです。
残りの二つの遺体は、彼の弟子テオドーロとアナスタシオであったと言われています。

一般に信じられている説では、聖ヤコブはスペインで宣教したあと、パレスティナに戻り、44年にユダヤ人に首をはねられたとされています。
彼の弟子たちは、ヤコブの遺体とともに船でガリシアの川を漂った後、この地にたどり着き、彼の遺体を雄牛のひく車に乗せて現在のサンティアゴ市まで運びました。

アストゥリアとガリシアの王アルフォンソ2世が、石棺が見つかったとされる場所に簡素な寺院を建てることを命じたことにより、この伝説は歴史に変わりました。
後に、この寺院はアルフォンソ3世の時代に拡大され、この名声にひかれ、西ヨーロッパ全土からの巡礼者を集めるようになったのです。

997年にはアルマンソルのイスラム軍に破壊されましたが、ベルムード2世によって街は再建されます。
13-4世紀の混乱期に一時的に衰退するものの、16世紀には大学が開設され、知性の街として再び発展をはじめます。
17-8世紀には、華やかなバロック様式の上面に見られるように建設ラッシュが起こり、その後、ガリシア州の州都となり、現在に至ります。