みどころスポット
メスキータ
メスキータは、グラナダのアルハンブラ宮殿と並び、イベリア半島で繁栄したイスラム文化の残した最も重要で美しい建造物です。オレンジの中庭を通り、シュロの門から入ると、内部には365の馬蹄形のアーチを支える850本の大理石の柱の森がひろがり、モスクの最も重要な部分、ミイラブは金を土台として色鮮やかなモザイクや大理石を駆使して装飾されており、イスラム文化の繁栄を極みを物語っています。メスキータの建築は、後ウマイヤ朝を創始したアブド・アッラフマーン一世によって、西ゴート族のカトリック教会の上に始められ、その後、彼の後継者たちによって増改築が繰り返されました。
後ウマイヤ朝が滅び、コルドバがキリスト教徒に奪還されると、カトリックの大聖堂として使われ始め、カルロス一世によって内部の一部を壊し、礼拝堂を作る改装が行われ、その改装は約240年続きました。その結果、イスラム教のモスクの中の一部がカトリックの礼拝堂となっている、世界でも珍しい不思議な建造物として現在に至っています。
ユダヤ人街
ユダヤ人街は、メスキータの北東に位置する、10~15世紀にユダヤ人が居住していた地区です。迷路のような入り組んだ道を行くと、花の小径に行き当たりますが、白い壁にいくつも飾られた植木鉢にはカーネーション、バラ、ゼラニウム、ストック、ジャスミンなどのどれかが季節の花を咲かせて人々の目を楽しませてくれています。白い壁にはさまれた狭い通りの間から覗くメスキータの塔と青い空の眺めは旅の疲れを癒してくれるでしょう。また、コルドバで唯一残っているユダヤ教会は、ムデハル様式による植物の模様や幾何学模様を施した漆喰装飾が素晴らしい礼拝堂があります。
この建物は、1492年にユダヤ人が追放された後、病院や幼稚園など様々な用途に使われましたが、ユダヤ教神学者マイモニデスの生誕850年を記念した1985年に再びユダヤ教会として開かれたと言うことです。
アルカサル
アルカサルもまたコルドバを支配してきたいくつかの文化の存在を証明する建造物のひとつです。ローマ時代からコルドバに入るにはどうしても通らなければならないローマ橋の近くにあるという立地から要塞として使われてきたアルカサルは、イスラム教徒がコルドバを支配していた時代には宮殿として使われていました。
コルドバがキリスト教徒によって奪還されると、王の住まいとなり、アルフォンソ11世が1327年に現在残るような建物にゴシック様式で再建築を命じました。
1482年から10年間はカトリック両王がグラナダに最後まで残っていたイスラム王朝を滅ぼすための軍事基地として利用し、グラナダの奪還が完了すると、カトリック両王はコルドバの地を去り、その後は異端審問所となっていました。
ヴィアナ宮殿
旧ヴィアナ公爵の14世紀に建築された邸宅で、所有地は6500平方メートルもあります。この宮殿の所有する12のパティオには手入れの行き届いたオレンジの木や糸杉、美しい季節の花に彩られており、よく晴れた青い空の下での散策はとても素敵な思い出になるでしょう。宮殿内には、16~18世紀の調度品や刀剣、陶器、絵タイルなどのコレクションが展示されています。
メディナ・アサーラ宮殿遺跡
コルドバから約8kmのところに、メディナ・アサーラ宮殿遺跡があります。936年、コルドバの地で大いに繁栄していた後ウマイヤ朝の最高権力者であった、アブト・アッラフマーン三世の命によって約25年をかけて建築された宮殿は、その後も彼の後継者たちによって増築と改築が行われ、きらびやかな宮殿に築き上げられたのですが、宮殿としての役目は約74年間だけしか果たせませんでした。
イスラム勢力の衰退とともにベルベル人たちの略奪などもあり、コルドバがキリスト教徒によって奪還されると完全な廃墟と化してしまいました。
1853年に発見された遺跡は、1923年に国の重要文化財として指定され、現在も発掘と修復が続けられています。