歴史
アラビア語で「大いなる川」を意味するグアダルキビル川に面したコルドバ。この川は古代から現代に至るまで、まざまなコルドバの歴史を長い間、見守り続けてきました。
コルドバの歴史は、古代ローマ時代へ遡ります。 古代ローマ時代には属州ヒスパーニア・バエティカの首都として栄えました。
その時代の様子は、現在に残されたローマ寺院やローマ橋からもうかがい知ることができます。
その後、415年から続いていた西ゴート王国が、711年にアフリカから侵入してきたイスラム教徒に制圧され、 そこから長いイスラム支配が始まります。
この時代のアンダルシア地方には多くのイスラム教徒たちが住み着き、各地にイスラム風の街を作り上げていました。
750年にダマスカスに首都をおいていたウマイヤ朝が、アッバース朝によって滅ぼされると、ウマイヤ朝の王族の一人、 アブト・アッラフマーン一世がコルドバの地に逃れてきます。
追いかけてきたアッバース朝軍との戦いに勝った彼がコルドバを首都とした後ウマイヤ朝を築きました。
929年にはアブト・アッラフマーン一世の孫にあたるアブト・アッラフマーン三世にイスラム国家の最高権力者を意味するカリフの称号が与えられ、彼とその息子ハカム二世の時代に後ウマイヤ朝はアッバース朝を凌ぐ繁栄を極めました。
コルドバにはイスラム世界とヨーロッパ中から多くの文化人や学者が集まり、当時世界有数の洗練された文化と芸術の都として、この時代、100万人近くの人々が住み、1600のモスク、30万の住居、8万の店があった世界有数の大都市として空前の繁栄を遂げます。
しかし、ハカム二世の死と同時にはじまった継承争いなどにより後ウマイヤ朝の繁栄に翳りが見え始め、とうとう1031年に滅亡してしまいます。
後ウマイヤ朝の滅亡後の2世紀の間は、各地の豪族たちが各地に独立しタイファとよばれる小国に分裂し、コルドバもタイファの一つとなりました。
タイファ同士の支配権をめぐる争いは、さらなるイスラム教徒勢力の衰退を招き、同時にそれはキリスト教徒勢力の回復を招くことになり、1236年にコルドバはフェルナンド三世を王とするカスティージャ王国に制圧されました。
その後、イスラム勢力はイベリア半島から姿を消すこととなります。